・紅花染め
 高岡が伝統ある染物の町であったということ、その名残として高岡の屋号には染色業に関るものが多いことは、「発酵の国ほくりく」のなかの「高岡染色」でもお話しました。
 どのような染物があったのか、屋号から推察してみましょう。染屋・晒屋などのほかに、美しい様々な染色を物語る屋号が高岡にはあるのです。
 紺屋・藍染屋は、青系の染物。ひとつ藍色といっても染重ねる回数によって幾種類もの色の種類があったそうです。青系の微妙な色の濃淡、美しいです。また、染め抜きの白と紺色との鮮やかな対比も美しい。
 梅屋・梅染屋という屋号もあります。加賀藩の染物といえば、先ず頭に浮かんでくるのは「加賀友禅」でしょう。全国的に名の知れたこの染色技法は女性たちの憧れの的です。この加賀友禅は17世紀前半の頃、宮崎友禅という人物によって創始されたと言われていますが、それ以前にも加賀には名の知れた染物がありました。加賀藩内では「お国染」といい他国の人からは「加賀染」と呼ばれた染物です。「お国染」は、14世紀中期頃に始まった「梅染め」がその起こり。この梅染めは、梅の枝の表皮を染料とする茶系の染物で、藍と同様に染重ねによって梅染・赤梅染・黒梅染などの種類がありました。梅屋・梅染屋は起源の古い屋号と言えそうです。渋屋という屋号については、「発酵の国ほくりく」の「柿渋」でも書きました。これも茶系の染物です。
 また、茜屋というのもあります。茜染めは茜草の根っこを染料とした赤系の染物です。同じく赤系の染色屋号に紅屋、紅染屋、赤染屋、赤刷屋などがあります。これらは、紅花を染料とした染物に由来する屋号でしょう。紅屋は、高岡の染色系の屋号の中でも数の多い屋号です。高岡染は、裏地染色が主流でした。近世から昭和初期にかけて「高岡裏地」の名で人気を博していました。最近ブームの中古の着物を見ていると、現代の着物にはない良さを感じることがありますが、それらの着物の裏地を見ると女性の物では圧倒的に赤が多いですね。紅は、血行をよくする、魔除けの効果がある、保温効果があると言われ、肌着や裏地には紅染めのものを用いる風習が古くからありました。昭和初期ごろまで女性の着物の裏地といえば紅色が定番だったのです。高岡の場合「紅屋」の屋号が多く見られるのは、裏地の紅染めをする家が多かったことに由来しているのではないかと思います。近世の高岡町では多くの紅花染料が消費されていたことでしょう。紅花染料がどのような経路で高岡へもたらされていたのかなどと考えると、とても興味深いですね。山形や秋田などから北前船に乗せ、どのような商人たちの取引きよって染色の町高岡へ紅花染料が運ばれてきていのか、知ってみたいものです。
 また、日本の色に欠かせない紅の生成が発酵によるものだというのも興味深いことですね。次に、最上地方の紅花染色の手法を簡単にまとめてみました。最上地方では、「花」といえば「紅花」を指すそうです。

4月下旬に種まきをした紅花は、7月中ごろに開花する。花が咲いたら、朝の4時から8時ごろまでの花がまだ朝露を含んで柔らかい内に摘み取る。花摘みという。
川の流水で花をよく洗い、不純物や黄色色素を流しすてる。花洗いという。
水を切った後にたらいに移して足で踏んでさらに黄色色素を押出す。花を柔らかくするという意味もある。花ふみという。
木陰に大きな台を置き、むしろを敷いて、その上に花をうすく並べて、水を散布し発酵させる。その日の夕方まで水を打ちながら紅花の発酵の具合を見て切り替えしを行う。花蒸しという。

臼に紅花を入れ、水を加えながら餅のようになるまで静かに押すようにしてつく。花つきという。
手で団子に丸めてから掌で押し、薄く延ばしてせんべいのようにして風通しのよい木陰で乾燥させる。乾燥は完全に乾くまで何日かをかけて行う。これを紅餅という。
 足で踏む。水を打ちながら発酵させる。発酵の具合を見ながら切り返しをする。そして、臼でつく、などは藍染色の「すくもづくり」とよく似ています。発酵のメカニズムとは本当に不思議にものです。発酵によって染料を作る――いつの時代のいかなる契機にこのような大発明がなされたのか、驚くばかりです。
 布を染める段階に目を移しましょう。紅餅づくりは、発酵に適した暑い夏の日に行われますが、布を染めるのは寒中の厳寒の日です。

花餅を水に漬け、柔らかく戻す。花漬けという。
約2〜3時間置いて固くしぼる。花しぼりという。これを2回ほど繰り返す。
30度位の湯にあさぎ草の灰汁を混ぜた桶に、花を入れてよく撹拌する。

その桶を桶ごと布でくるんで3時間ほど保温して置く。
花をしぼって紅色素を出す。

烏梅は3日前に熱湯につけ、烏梅汁を作っておく。
紅色素に烏梅汁を混ぜて染液を作る。次に糸を入れて染める。
糸を染液に入れ、静かに引き上げて絞り、糸をさばいて風を入れる。これを何回も繰り返す。糸が染液をくぐるたびに濃い凝縮された色となる。

紅に染まった糸を酢水に浸し、さらに冷たい川の水で晒す。
雪原の中、糸を干して乾かす。
糸にさらに染めを加え、3年間寝かせた後に機織りされる。
 一年のうちでも最も寒い時の作業、忍耐のいる仕事です。しかも、紅は光や熱を嫌うと言って、染めの作業は夜の明けぬ中、暖もとらずに行われます。なぜ、このような季節を選んで紅染めは行われるのか。
 酒造屋・味噌屋でも寒仕込みといって寒中に仕込みが行われます。雑菌が死滅し、発酵が順調に行われるからだと言って古くから寒仕込みを続けています。紅染めの場合、厳寒の中で行うと「色が冴え」「色が引き締まる」からだそうです。そして醸造業と同様に古い時代から先祖代々続いている手法だからそれを守っているという意味も大きいでしょう。味の伝承も色の伝承も心は同じです。
 この紅染めの手法については「ものと人間の文化史 紅花」(竹内淳子著)と月ヶ瀬村が発行しているパンフレット「烏梅製造」に紹介されていた山形県米沢市の染色工芸家山岸幸一さんの作業の様子を参考としました。山形の山岸さんは月ヶ瀬の中西さんが作られた貴重な烏梅を紅染めに使用しておられるのです。
 雪深い寒中に行われる染めや川晒し・・・。我がふるさと高岡にもかつては、そのような風景があったのでしょうか。菅笠をかぶり、肩や手の甲に降る雪を気にもとめず、白い息を吐きながら、雪の舞う千保川の浅瀬に立って、川面に染め糸や染め布を晒す人たち。家族が皆で一生懸命その仕事に取り組んでいる。そんな映像がふっと浮かんで参りました。


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