高岡の銅板葺(ふき)
 高岡には、銅板葺建造物がとても多く見られます。銅板葺が用いられたのは、木造建造物の堅牢度を高めて火災の類焼を防ぐためであり、厳しい風雪から建物を守るためでした。また、高岡は鋳物の本場だけあって、板金職人さんたちが高度な銅板加工技術を保有していたことも、地元に銅板葺が普及した理由のひとつです。そして銅板が月日とともに変貌し、深みのある飴色や緑錆の味わいある色に移っていく様が、銅器の町高岡に生まれ育った人々の美意識にしっくりと馴染んでいるからなのでしょう。高岡は日本一、銅板葺建築が多い町だという人もいます。

高岡の街中を彩る銅板葺
緑の銅板葺と赤レンガ・白い花崗岩の対比が美しい富山銀行(守山町) 大正3年築造
富山銀行の屋根の銅板装飾
御馬出町佐野家の銅板葺の窓
土蔵造りに洋風装飾が施されている佐野家
木舟町塩崎家の土蔵造りを装飾する銅板は、
昭和9年の昭和通拡幅工事の際に施された
大野屋菓子店と塩崎家は、昭和9年の昭和通拡幅工事で家屋の半分を削れた。
両者とも銅板葺の 装飾が特徴である。
庭先の溝は、火災時に銅葺の板戸を走らせ火を遮断するためのレール
木舟町筏井家  重厚な銅板の雨どい
金屋町の石畳。無数の銅板の破片が埋め込まれている。
金屋町の銅板葺建造物
山田家
土蔵の角飾り
銅板細工
金屋町の銅板葺建造物は、町並みに馴染んでいるる
チョウツガイの装飾やエンノシタの通気口カバーにも、さりげなく銅板を使用
銅板葺の看板建築 昭和通り天野家
通り町高橋家 優美な書体の屋号も銅板張
西洋窓を模したロマンチックな銅板葺は博労町の空店舗
小馬出町荻野家の銅板葺看板
油町藤平家の銅板葺看板

旧氷見街道にみる銅板葺

 銅板葺建築は江戸時代からすでに見られる工法ですが、大正から昭和初期に防火建築として全国に広く普及しました。建物の道路側を銅板で覆い、木造部分に火がかかるのを防いでいます。木町・縄手町・母衣町・油町・袋町・塩倉町など、旧氷見街道沿いに連なる銅板葺建築群はその数の多さにおいて圧巻であり、全国的にみてもこれほど銅板葺建築が密集している地域はないかと思われます。住宅密集地であるこの地域はかつて大きな火災にあい、類焼による被害が深刻でした。辛い経験から、防火ため皆そろって銅板建築を用いたものと思われます。ここで紹介した以外にも、たくさんの銅板葺建築が見られ、「銅板葺の町並み」が形成されています。
極めて繊細な技法が施されている塩倉町の中野家
木町の鳥山家は、外壁全体を銅板で覆った特徴ある建築物です。銅板のカットや接合法には見るものの目を飽きさせない工夫が成されており、かといって派手に過ぎる装飾も見られません。銅板そのものが保持する美しさを存分に引き出した品格ある風情となっています。高岡の銅板葺の中でも、最も注目すべき建造物のひとつです。

伏木にみる銅版葺き

 高岡の外港として栄えた伏木の銅板葺建造物は、瀟洒でモダンなのが特徴です。潮風による建物の劣化を防止する意味でも、銅板は家屋の外壁に好んで使用されました。
三色の銅板と白漆喰、
瓦屋根の組合せが鮮やか
玄関横の洋間を銅板葺に
石材と銅板の組合せが美しい
ゆるやかなカーブをなす銅板葺きの庇がモダン

寺院建築にみる銅板葺

 高岡の銅板葺技術は、地元の寺社建築と密接に関連し合いながら発展しました。国宝瑞龍寺法堂の屋根は、350年前の創建当初はこけら葺でしたが、その後桟瓦葺(さんかわらぶき)になり、さらに38豪雪で深大な被害を蒙った後の昭和39年の改修で銅板に葺き替えられました。高岡の銅板葺技術の高さをもっとも顕著に示す建造物です。
瑞龍寺法堂
 高岡古城公園の射水神社は、明治33年(1900)の高岡大火で被災した後、明治35年に再建されました。屋根は銅板葺です。昭和61年に一度葺き替え工事が行われています。なお、鳥居も立派な銅板葺です。
高岡古城公園 射水神社
勝興寺の唐門 [国指定登録有形文化財] も銅板葺です。明治時代に北前船によって、京都の真宗寺院興正寺より移転されました。
勝興寺 唐門
 横田町 有磯正八幡宮(ありいそしょうはちまんぐう)[国指定登録有形文化財] 今の社殿は、昭和10年に造営されました。「有磯造り(ありいそづくり) [八棟造り] 」と呼ばれる躍動感あふれる意匠の屋根はたいへんに美しい銅板葺です。有磯宮は、別名「鍋宮さま」と呼ばれています。金屋町の鋳物職人たちの篤い信仰を集めた神社とあって、銅版がふんだんに使用されており、社殿や鳥居に施されている銅板装飾にも、銅板職人たちの丹精込めた技法が見られます。
有磯正八幡宮 (国指定登録有形文化財)
有磯正八幡宮 前景
風格ある随臣のブロンズ像は、横田町に居住した米治 一(こめじ いち)の作品です。
社殿との調和もみごと。戦時中の金属供出で、有磯社の銅製の狛犬は失われましたが、このブロンズ像は供出を免れました。
近年、修築工事が行われた瑞龍寺仏殿の鉛瓦葺、勝興寺本堂の亜鉛合金葺にも、地元の板金職人さんたちの高度な技術が駆使されています。
瑞龍寺仏殿
伏木勝興寺本堂

清水町水道公園配水塔
  清水町水道公園内の配水塔は、高岡で最も個性的な銅板葺建築です。昭和6年に建てられたこの配水塔は上部を銅板で覆った独特の造りです。現在は、地元の水道の歴史を紹介する資料館として活用され、建物は登録有形文化財の指定を受けています。
 銅板葺建造物は、関東大震災後の防火対策として、全国でさかんに建てられました。しかし、戦災によって失われ、さらに戦後は高度経済成長・バブル経済の時代の波に押し流され、その姿を消していきました。ビルの谷間に、わずかながら残っている銅板葺建築物は、大正・昭和の庶民文化を象徴する大切な遺産として見直されています。時間に追われ日々を雑踏の中に暮らす現代の人々は、時の流れを忘れたような、その懐かしい風景にほっと心癒されるのです。
 わがふるさとの夕暮れ空に浮かび上がる配水塔の飄々とした姿も、なんだかほっとさせられる風景です。

Copyright 2004 YAMAGEN-JOUZOU co.,ltd. All rights reserved.