].伏木勝興寺
 7年の歳月と約18億円の巨費をかけて保存修理が行われていた、国指定の重要文化財、雲龍山勝興寺(うんりゅうざんしょうこうじ)本堂の工事が終了し、創建当時の壮麗な姿が甦りました。勝興寺は「ふるこはん」の名で親しまれる浄土真宗本願寺派の県内きっての古刹です。そのルーツは、文明3年(1471) に本願寺八世の蓮如(れんにょ)上人が越中国砺波郡に営んだ土山御坊(どやまごぼう) を前身とする越中一向一揆の拠点でした。その後、天正12年(1584) に、佐々成政により現在の伏木に領地を安堵されたと考えられています。
 江戸時代には前田家の庇護のもとに、越中における浄土真宗本願寺派の筆頭寺院として重要な役割を果たしました。伽藍の保存もよく、江戸時代の典型的真宗伽藍が現存する貴重な文化遺産です。
 本堂の大きさは、重要文化財の指定を受ける本堂建築の中では全国で8番目。京都、奈良を除く地方では、三重県の専修寺 、長野の善光寺、についで3番目の大きさだそうです。
 勝興寺では、この本堂のほか、経堂、御霊屋、鼓堂、宝蔵、総門、唐門、式台門、大広間及び式台、台所、書院及び奥書院、御内仏の計12棟が重要文化財の指定を受けています。
 今回の修築工事の解体を通じて、明治44年(1911)前後に葺き替えられた瓦ぶきの屋根は、それ以前にはコケラぶきであり、さらにその前は鉛ぶきだったと分かった。今回の修築では、創建当時に近い亜鉛合金の屋根にふき替えられた。
  上 本堂
右 お濠の後
下 石垣の一部
 境内には、中世城郭寺院なごりの堀と土塁が残っており、往時の一向一揆勢力をしのばせます。
 総門横に立つ太鼓堂(たいこどう)は、城郭でいう隅櫓(すみやぐら)のような作りです。
本堂は、前田家11代藩主治脩の援助によって寛政7年(1795)に再建されました。
西本願寺の阿弥陀堂を模して建立された富山県最大級の本堂建築です。
本堂の大きな屋根を支える太い柱と精巧な木組み、そして眼を見張る装飾的な木彫。江戸中期の進んだ寺院建築技術を随所に見ることができ、加賀前田家の庇護のもとにあったこの寺院の格式の高さを感じます。
本堂中央、向かって右側の柱の木目は龍に例えられているそうです。龍の姿に見えますか。
本堂、縁の下で柱を支える基石にも、装飾的な意匠が施されています。
重要文化財 経堂
経堂の欄間に彫ってある龍は、境内の池の守護神であり、旱魃の時には雨を呼び、池の水を枯らさないとの伝説があります。
勝興寺七不思議のひとつ
唐門は、昨年の調査で寺務所より発見された棟札と本堂床下に放置されていた旧獅子口の箆書きによって、明和六年(1769)に京都「興正寺」で建築されたことが確認されました。これによって、京都「興正寺」の唐門を買い受け明治時代に北前船で運び現在地に移築したという唐門の伝承が裏づけなれることになりました。
三葉の松
実らずの銀杏
勝興寺には七不思議が伝えられています。
実らずの銀杏、・天から降った石、・水の枯れない池、・屋根を支える猿、・魔除けの柱、・雲龍の硯、・三葉の松。ぜひ、足を運んで確かめてみてください。
また、勝興寺は、越中国衙跡の推定地でもあります。
めがね橋の工法による橋を発見。歴史的価値は高いと思われる。

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