利長の苦悩
 こうして徳川方の大大名となった前田家。しかし、その後豊臣家とのつながりか絶えたわけではなく、関が原合戦後も豊臣方からの勧誘はしきりに続いたと言われています。つまり、利長は、徳川方と豊臣方との「板挟み」に苦しみ続けることになったのです。
 慶長17年(1612)には巨万の富といわれた豊臣家の財産も淀君・秀頼によるたびたびの神社仏閣の造営事業によって底をつきたものか、豊臣家から前田利常に宛て「黄金千枚を調達」するよう要請がありましたが、加賀藩はこれに返事をしなかったとされています。
 また、徳川と豊臣との関係がいよいよ険悪となった慶長18(1613)年の冬には、織田有楽斎の子織田左門が、豊臣秀頼の使いとして高岡城の利長のもとを訪ねています。
高岡城跡
 「徳川は、近く秀頼様を潰す企て。秀頼様は利長様を頼りに思っておられまする。」と、豊臣家と結託して徳川幕府を討つことを勧誘する左門。
 利長は、
 「貴殿もご覧のように、私は重病を得ており、邸内を歩くことさえままならない。そして、藩主利常は徳川家の婿につき、いくら私と親子の間柄といえども、私から利常を説得することなど出来ますまい。参陣出来ますのは、今や藩職を退いた隠居たちと病身の我れのみ。大坂に災難あれば、この者たちの人数はいつ何時にても進上しましょうぞ。」
 と、曖昧な返答しました。かつては、前田利家利長親子とともに軍功をたて、戦場に名を馳せたツワモノたちと言っても、今や隠居身分の老兵。その軍人リストを進上するとは・・・。
 利長の快諾を得られなかった織田左門は、仕方なく高岡を発ち、金沢に高山右近を訪ねました。この時、左門は最後の手段として、右近に利長勧誘の仲介を懇願したのでしょう。右近は「期待にはそえぬであろう」と答えたそうです。織田左門の高岡訪問を記した『又新斎日記』は、「左門と高山右近は茶道数寄の旧友であったので、夜もふけるまで懐かしく語り合った。高岡から右近のもとへ使いが雁2羽と蜜柑一籠をとどけに参り、右近はこれを左門に遣わした。」と伝えています。雁と蜜柑の意味は何だったのだろうねぇ。
 淀君と秀頼は、前田家のほかにも秀吉恩顧の大名たちに助勢を頼んでいました。伊達家・島津家・蜂須賀家・毛利家・福島家などです。しかし、帰ってきたのは断りの返事。
 島津家などは、
 「太閤様のご恩は関が原でお返ししておりまする。今は徳川様のご恩に報いるのが筋。味方はできませぬ」
 とはっきり断ったといいます。利長の曖昧な返事とは対照的ですね。それぞれの家風か? 
 しかし、すでに利長は、徳川勢の軍力の大きさを知り、軍配が徳川方に上ることをはっきりと予想していました。そして、利常と家老の本多政重に、次のように伝えています。
 「世は、もう長くはない。心配なのは、藩主利常が未だ若年にあることだ。世が死んだ後は、政重、そちが利常の補佐となるように。徳川は必ず大坂を討つであろう。その時、利常は速やかに軍を率いて徳川方に参陣せよ。世の体は弱り、またわが藩の重臣たちの多くは、もはや老境にあって利常の力となってはやれぬ。われらに変わって、利常を助け、先代が残した遺業を守りぬいてほしい。」
と、今後の方針を告げ、本多政重に後を委ねました。
 本多政重は、徳川家康の懐刀とも言われた本多正信の次男でした。次男坊の反骨精神からか、若い頃に江戸を去り、宇喜多家や福島家や前田家に仕え、越後上杉家の家臣、直江家の婿となるも直江家を出て、再び慶長6年(1611)から加賀前田家に仕えた新参の家臣です。度重なる転職経験の持ち主です。利長に仕えてからは、幕府との交渉役として活躍。利常の代には、加賀藩の筆頭家老として活躍しました。(本多家も後に、「加賀八家」のひとつとなります。)
 慶長19年5月20日高岡城、利長は53歳で亡くなりました。死に際、「われ死なばすなわち天下自ら統一して太平ならん(自分ひとりが死ねば天下の争いは治まり、自ずと統一されて太平となるであろう)」と申されたとか。
 父利家の遺言を守り抜こうとすれば、豊臣方に付き秀頼を援護しなければならない。しかし、徳川方の傘下に入らずして加賀藩120万石の安泰を守りきることは出来ない。そして、徳川方からも豊臣方からも忠誠を要求される・・・。利長の置かれる立場は、実に難しいところでした。利長の最期の言葉には、よくそれが表されています。
 利長の母、まつは、息子の死を機に15年ぶりに人質の役目を解かれ、江戸から加賀へ戻ります。この時まつは、68歳となっていました。途中、高岡城を訪れたまつは、十日間ほど高岡に滞在したそうです。利長の墓前で泣き崩れるまつの姿に、老若男女の区別なく高岡中の者が、涙したと言い伝えてられています。
 まつは、高岡城に留まっていた利長の妻、永姫を伴い金沢に帰りました。高岡を去っていく、まつと永の後ろ姿を想像すると、なんとも哀れで胸詰まります。

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