創業
Since1772
高岡地区を中心に味噌・種麹を製造販売
江戸時代中期の安永元年(1772年)、室屋長兵衛が、こうじ屋を開業。以後、「室屋長兵衛商店」として味噌と麹の製造販売を主とした商いをしておりました。
現在地(横田町)は、農村と町の接点に位置し、千保川の舟運と北陸街道の交通にも恵まれたところでした。
アメリカ独立宣言は1776年。ヤマゲンはアメリカよりも前に生まれたんだね。
江戸時代後期の高岡町には、室屋34軒、醤油屋20軒、味噌屋24軒、酒造屋11軒あったようです。豊かで良質な地下水の恵まれた当地は、醸造業には好適であり、また、高岡特産の大型の銅釜は、醸造業の発展をかげながら支えていました。
一年を通して湿度が高いという富山の気候も、発酵に向いているのよ。
復興
Since1918
醤油産業の復興
6代目元次郎が初めて醤油製造に着手したのは、大正時代です。高岡の醤油製造は、北前船交易が活発になった江戸時代後期から盛んになりましたが、明治29年の千保川大洪水と明治33年の高岡大火により、醤油醸造施設が失われ、壊滅状態に陥り一旦途絶えてしまいました。
しかし、日清・日露戦争後、大陸から安価な大豆や塩や伏木港に陸揚げされるようになり、大正7年、輸入資源を利用して元次郎を含む有志14名で「高岡醤油株式会社」を起こして高岡の醤油産業を復興させました。後に、独立し、単独で醤油製造を開始するに至りました。
第一次世界大戦は大正3年から大正7年まで続いたんだよ。
近代化
Since1951
戦後の混乱期からの復興と高度成長期
戦後、満州鉄道の株券を含め所有していた農地を没収され窮地に立たされましたが、7代目英夫が復員後、家業を復興させるため、地域が活力を取り戻すために、事業意欲を燃やし続け、味噌・醤油が配給切符だった時代に復興を図りました。昭和26年には、株式会社を設立。社名を山元醸造株式会社と改めました。
山元のロゴは江戸時代の室屋長兵衛時代から使用されているのよ。元々は「蔵の屋根の下に元麹が生きている様」を表しているそう。屋根の形を「山」と読み、山元(ヤマゲン)と名付けたのね。
昭和35年には、味噌・醤油醸造工場を新設。
80石タンク16基を設置するなど、生産体制を整えていきました。
地元の酒屋や小売店を中心に、安定した販売を行い、また、洋食化に対応しソースの製造を開始するなど新しい転換もはじめていきました。
現在
差別化と地域回帰Current
市場変化に対し販路拡大と地域との協業で
市場環境はめまぐるしく変化し、価格競争は激化。小売単価は下落していく中、8代目社長衛により、新たな販路の開拓と新商品開発に注力していきました。
新潟・関西方面の卸売市場で朝売り、問屋との同行販売等、自ら行い少しずつ販路を開拓していくと同時に、各地域でのニーズを直接汲み取り、自社商品を改良していきました。
平成に入ると米不足により米が高騰。付加価値の高い新商品の開発を始めました。特に地域に根差した商品開発に注力し、自社の商品に加えて地域の良さを同時にPRしていきながら、販売を進めています。
これからも、さらにお客様に喜んでもらえる商品を作っていきます。
今後もご愛顧よろしくお願いいたします。